同い年ではあるが、本当に取材のご縁が少ない選手だった。
というよりも、僕が社会人になった頃にはもう有名すぎて
近寄り難い存在だった。
イチロー選手と初めて直接、話をしたのは98年の日米野球でのことだった。
米大リーグ・フィリーズのカート・シリング投手をベンチ裏の通路で取材していると
日本サイドからイチローが現れ、互いの道具を交換したいと持ちかけた。
ちょうど、通訳がいないという状況だったため、僕が間に入って少しお手伝いさせていただいた。
デイリーの新人記者の楊枝です。神戸出身です。
そう挨拶するとイチローからは「そうなんですね。よろしく」と返事が返ってきた。
オリックス・ブルーウェーブのイチロー。
同じ25歳なのに落ち着いてカッコイイやと思ったのを覚えている。
それからシリングにはイチローがいかにすごい選手で
将来はメジャー移籍を目指していて
日本時代に交換した道具はプレミアになるに違いないと話したことを覚えている。
オリックス担当記者でもないのに
そんなに知らない同級生を自慢したような変な感じだった。
後年、本当にイチローはメジャー移籍してレジェンドになったのだから
貴重なエピソードに今では感謝している。
まあ、そんなイチロー氏が2020年のオフシーズンに智弁和歌山高校野球部の指導を行った。
これって本当にすごいことだなと。
僕たちが子供の時に掛布さんや真弓さん、岡田さんに指導してもらっていたとしたら
いやいやそれ以上のインパクトなのかなあ。
遠い世界のイチローさんという感覚なので
もっと距離感の近いアスリートを表現する原稿とはタッチが違うが
イチローが接する人や団体を選ぶとき、どんなことを基準にしているのか気になったので
関係者に取材させてもらい、コラムにまとめさせていただきました。
おなじみ東スポコラム「ワッショイ!!スポーツ見聞録」にて
webにもアップされております。
よろしければご一読ください。
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