入団時から顔を知っている昔馴染みが引退するのは寂しいです。
僕がこの世界に入ってきたのは1998年。本当は96年社会人になっていなければいけないのですが
勉強が好き過ぎて大学に多めに通っていました。
98年といえばドラフトの目玉は横浜高校の松坂大輔でした。
その同級生で高知商業高から阪神にドラフト1位で指名されたのが藤川球児です。
僕は松坂、藤川のルーキーイヤーはヤクルト、西武の球団担当記者を掛け持ちしていたような状態でした。
春季キャンプの取材スタートは松坂フィーバーで盛り上がる高知・春野
オープン戦で西武VS阪神が開催されたとき、藤川球児とベンチ裏で挨拶したのが最初の会話でした。
その後、時を経て2005年には阪神のリーグ優勝
2009年のWBC連覇の時は藤川にも松坂にも取材で大変お世話になりました。
この世代の日本を代表する先発投手・松坂と
守護神・藤川を両方とも深く取材させていただくご縁に恵まれたのは幸運としか言いようがありません。
そう言った立場での原稿を東スポで書かせていただきました。
紙面では巨人時代の清原さんとのエピソードと並べて一面で扱っていただきました。
東スポさん、いつもありがとうございます。
藤川球児が明かしていた松坂との違い「だから僕は自分で終わらせる」 | 東スポWEB
【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】昨年の4月下旬だった。あの時も藤川球児は志願して二軍での調整を行っていた。 練習後、鳴尾浜球場に西日が差す時間帯。駐車場で話し込むうちに「引退」の二文字に...
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