沖縄キャンプ中にはヤクルトの浦添キャンプにもお邪魔してきました。
僕自身、1999年にはデイリースポーツでヤクルト担当記者をしていました。
当時のヤクルトは若松勉監督の1年目。
主力選手には古田敦也捕手や池山隆寛内野手はもちろん、川崎憲次郎投手、伊藤智仁投手、田畑一也投手、石井一久投手、高津臣吾投手ら黄金期の選手が健在でした。
若手には岩村明憲内野手、五十嵐亮太投手らがいて、ベテランと若手が噛み合ってこれから再浮上するチームなんだろうという楽しみな空気がありました。その通りに2001年には日本一になっちゃうわけですが。
しかしもう、あれから21年もの年月が経過してしまいました。
99年当時、顔見知りだった選手は五十嵐亮太投手のみです。
しかし、今回の取材は坂口智隆外野手でした。
近鉄最後の現役野手です。
神戸国際大附属高校出身で、僕とは地元が同じ
ものすごく思い入れのある選手です。
背番号42番を選んだのは
実は、僕が神戸・三宮で経営していたスポーツダイニング「42」の屋号も意識してくれたと報告してくれました。
42は「し・に」とも読めるため日本人は敬遠しがち。
それでも、米大リーグでは全員がつけることのできない永久欠番なんです。
その辺は話すと長いのでいつか詳しく書きますが
3月の下旬に東京スポーツに掲載された僕の原稿をアーカイブとして添付しておきます。
よろしければご一読いただけると嬉しいです。
ヤクルト・坂口 プロ18年目の並々ならぬ決意 | 東スポWEB
【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】前しか見ていない。ヤクルト・坂口智隆外野手(35)の言葉に並々ならぬ覚悟を感じた。「このオフはプロに入ってから初めて、一つのことだけに集中して取り組んだ。...
それではまた
次回の更新まで!!
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