忘れないでほしい。海外移籍のハードルを下げるため戦った先人の存在。若き日の上原浩治の闘いとは

巨人
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大学生から社会人になる頃、近鉄の野茂さんがメジャー挑戦した。

当時はそれをテレビで見ているだけで

もちろん、マスコミ人としての視点など持ち合わせず

すごいなあと見入っていた。

 

96年から98年まで日米を行ったり来たりする生活をして

現地で野茂さんの登板試合を観戦した。

当時は自分も若くメジャーに興味があり

ヒューストン・アストロズのジェフ・バグウェル選手のファンで

アメリカで近鉄にいた野茂さんと対戦している姿を見て不思議な気持ちになったものだ。

 

その後、就職してデイリースポーツのプロ野球担当記者となった。

松坂大輔の在籍する西武を担当していた当時は

イチローとの対戦に取材しながらも手に汗を握ったものだ。

 

イチローが2000年にメジャー行きを表明した時

松坂大輔に一報を入れたのを覚えている。

自分も何年か後に続きたいとの声を聞き

筆を躍らせて原稿に書いた。

 

2002年には巨人担当となり松井秀喜のヤンキース移籍を取材した。

ニューヨーク現地まで同行した経験は今でも宝物だ。

 

そして、その頃、上原浩治とも出会った。

阪神新聞(デイリー)の記者の僕にも偏見なく接してくれた。

もちろん、メジャーへの夢も聞いていたし知っていた。

だが、当時の巨人でFAを待たずに海外移籍というのは非常にハードルが高かった。

 

目標に向かって着実に経験を積んでいた上原が

野球のプレー以外のことでストレスを抱え

どんどん表情が曇っていった。

 

ご機嫌で明るいお兄ちゃんだったのが

しかめっ面のあんちゃんになってしまった

人間同士として接してきたつもりだが、どう声をかけていいのかわからなくなった。

 

そんな頃の上原のことを東スポさんに書かせてもらいました。

こちらからどうぞ。

巨人からメジャーへの道を開いた 上原「6年の激闘」【球界平成裏面史・上原浩治編】 | 東スポWEB
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