自分の息子がドラフトで指名されてプロ野球に進んでいく。
そんな環境の家族は激レアでしょう。当然。
でも、毎年、何人かはいるわけです。
2000年の秋、藤田家はそういうことになっていました。
秋田県から関西に移動し大阪市内のホテルで宿泊。
タイガースの節目、節目の行事は基本的にリッツカールトン大阪で行われます。
最高峰レベルの評価を受ける同ホテルとあって、室内の設備も最新だったりします。
2000年であればまだ開業から10年も経過していない状況だっと思われます。
太陽さんのお母さんはカーテンに驚いたそうです。
あるあるですね。
秋田では関西ローカルのテレビ番組ももちろん放映されていません。
関西のアナウンサーを知る由もありません。
全国放送のフジテレビ「プロ野球ニュース」は知っていても
毎日放送の「ちちんぷいぷい」は知らない可能性が高い。
そういったあたりのカルチャーギャップも
若かりし日の太陽さんには次々と降りかかったことでしょう。
そんな日々をコラム第14回では書いております。
こちらから、読んでみてください。
よろしくお願いいたします。
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