実は現役時代、そんなに親しいというわけではありませんでした。
もちろん、2000年ドラフト1位の剛腕・藤田太陽投手のことを知らないわけではありませんでした。
ただ、期待されて入団も右肘の手術があったり苦労の連続とあって
声を掛けづらい気持ちで遠くから眺めることが多かった気がします。
僕がデイリースポーツに勤務していた時代の2005年から2010年は虎番記者としてほぼ、シーズン全試合をカバーしていました。05年には広島戦で完投勝利を挙げた事が記憶にあります。これで太陽は波に乗っていくんだろう。そう勝手に思っていました。当時の岡田彰布監督も「そんなん、普通にやったらええんよ。太陽はもともと力あるんやから。普通に自分のピッチングできるかどうかやんか」と実力を認めていました。
ただ、なかなかに結果が続かない。
社会人出身の選手が入団して5、6年経過していくと
出場機会も若手にどんどん奪われていく。
この頃、1軍ではジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の「J・F・K」が確立し
さらにそのバックアップとして桟原将司、橋本健太郎、江草仁貴の「S・H・E」も安定した活躍を続けていました。
毎年、巨人や中日と優勝争いを繰り広げ負けパターンの継投なんてない状態が続いていました。
そんな頃、2軍では藤田太陽、能見篤史のダブルストッパーが無双モードでウエスタン・リーグに君臨していました。実力のある2人が言葉は悪いですが「埋もれていた」状態です。
こんな時期があったことをコアな阪神ファンは覚えてくれているとは思いますがもう15年ほど前の話です。
振り返って誰かが記しておかないといけない。
そう思い連載原稿を藤田太陽氏に打診した次第です。
現役時代、担当記者として取材をできなかった。
ただ、引退後には僕の経営していたスポーツダイニング「42」でイベントを担当してくれたり
非常にお世話になったご縁もありました。
引退後の人生の方が長いんだよ、とはよく言いますがその通りです。
トータルで会話した時間の長さは、現役時代より引退後の方がはるかに長いです。
藤田太陽さんの連載原稿は東スポ紙面で月曜日〜木曜日の週4回で掲載され
オープン戦が始まるころまでロングランで続いていきます。
東スポWEBでも読んでいただけます。
こちらに第一回のリンクを貼っておきますので
僕のブログと併せて読んでいただくとありがたいです。
よろしくお願いいたします。
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