懐かしい。もう遠い昔の話だが今でも覚えている。
2004年1月の藤井寺球場での出来事だ。
前年、デイリースポーツの巨人担当として勤務していたが関西に転勤。
近鉄担当となった直後、自主トレの模様を取材していたときだった。
当時、まだ2年目の近鉄ドラ1・坂口智隆がグラウンドに出てくると早速、挨拶に赴いた。
僕は兵庫県・神戸市の出身。神戸国際大附属高校出身の坂口には勝手に親近感を持っていた。
というのも神戸国際と我が母校・兵庫県立星陵高校は無理すれば徒歩で行き来できる立地。
高校当時、野球部だった僕たちは神戸国際の前身である八代学院大学附属高校とよく練習試合をしてもらっていた。
坂口と僕とでは11歳の年齢差がある。もちろん接点などないのだが、彼の先輩と遠い昔に直接対決しており、坂口が育ったグラウンドの土を僕たちも踏んでいるというのは事実。
そう説明すると坂口は「ということは、先輩みたいなもんですね。神戸の」と答えてくれた。
自主トレ期間とあってノッカーもいなかったため坂口から
「野球部やったんならノック打てます?」と声をかけてもらい
「よっしゃ、おっちゃんのノック受けれるか」と安請け合いしたことも覚えている。
硬式ボールをプロの外野練習レベルで打つのは実はそう簡単ではない。
当時の僕はまだ30代前半だったので、必死のフルスイングで頑張った。
その後、近鉄は球団合併のため消滅。
坂口は2005年からオリックスバファローズの一員となった。
僕は阪神担当、つまり虎番記者となってタイガースを取材する立場になりました。
知らない間に坂口はオリックスの1番・中堅レギュラーになり3割打者、ゴールデングラブ賞と超一流。僕はというとずっと虎番記者で、当時はオフシーズンにサンテレビの「熱血タイガース党」という番組にデイリー・虎番として出演させていただき、調子に乗っていました。
すると、2011年に異動を命じられオリックス担当を拝命。
坂口とも再会する運びとなりました。
藤井寺球場でのこと覚えている?
そう声をかけると「忘れるわけないやん。どうしてたんですか?いっこも僕の取材にもきてくれへんかったですやん。やっぱ、デイリーやから阪神っすか」と7年間もの不義理を気にすることもなく、受け入れてくれました。
その後の交流はまた長いのでまた今度ということで。
このたびはwebメディアのSPAIAさんにヤクルト・坂口智隆選手の原稿を寄稿させていただきました。こちらも合わせてお読みいただくと嬉しいです!
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