オールスター取材の思い出。元巨人・松井秀喜氏

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 レジェンドです。年齢でいうと僕より1歳年下ではあります。しかし、貫禄が違いすぎます。98年にデイリースポーツに入社して、これと行った研修などもなく4月13日には東京ドームで記者デビュー。そこからしばらくして、練習日に当時の松井選手に名刺を手渡すチャンスがきました。

 僕の名前は秀基「ヒデキ」なので、漢字は違いますが同じ。しかも、兵庫と石川県では大違いなのですが、僕は星陵高校出身とあって、話をするネタはあったはずだったんです。

 なのに、なのに…。

 貫禄がありすぎる松井秀喜さんにビビってしまい

 向こうから「あっ、ヒデキって同じ名前じゃん」といいトス上げてくれているのに、僕ときたら「あ、絵、う、えっ、あ、あああああ」と緊張のあまりどもってしまって会話が成立せず。松井さんも「だめだこりゃ」と思ったのか、スッとロッカー方向に消えていってしまいました。

そんなヘタレな僕でしたが、02年にメジャー移籍するときにはニューヨークの会見にもついて行きました。あれだけの大選手を目の前で取材できたのは、記者としての財産です。

当時の球宴取材の思い出をSPAIAさんに寄稿しました。良かったら読んでみてください。

遅刻してもMVPをかっさらった松井秀喜【思い出のオールスター③巨人編】
日本を代表するスラッガー・松井秀喜は「遅刻すると活躍する」という伝説があった。2002年7月、オールスター第1戦が行われた東京ドームから松山へ空路移動するはずが、松井は待てど暮らせど姿を現さず。次の便で移動して何食わぬ顔で球場に姿を現し、5試合連続打点の新記録をマークした。

それにしても松井秀喜氏はすごいなと改めて思います。引退して何年経過しても話題になりますし、僕もこうして何年も前のネタで原稿を書かせてもらっている。多くの人を楽しませるエンターテイナーとしても、野球選手としても、一人の人間としても立派だなと思います。

 

 

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